大隅良典先生へのお祝いの言葉

ご祝辞:酵母遺伝学フォーラムを代表して

大隅良典先生、

このたびはノーベル生理学・医学賞の御受賞、おめでとうございます。酵母遺伝学フォーラムから心よりお喜び申しあげます。

私が、何より今回のご授賞をうれしく思いますのは、大隅先生が、酵母遺伝学フォーラムが、酵母遺伝学集談会の時代より、毎年のように参加され、オートファジー変異株の取得から酵母ATG遺伝子群のクローニングも含めて、その最新の成果をいち早く本フォーラム研究会でご発表頂き、20数年を経てノーベル賞の成果として結実されたことです。授賞後のインタビューでも、基礎研究と酵母の重要性を大いに語られ、その言葉に、酵母(とその産物?)に対する共感や愛情を感じたのも私一人ではないと思います。

私自身、“オートファジー”はもちろん、大隅先生とお会いして親しくお話をしてお人柄に接することができたのが本フォーラムですし、このようなことがなければ、私自身、米国留学中に一人で手がけたペキソファジーの研究を、帰国後も継続し、先生との共同研究を進めさせて頂くこともなかったと思います。

大隅先生がフォーラム会長に就任された折、先生から2度目の運営委員を仰せつかって以来、運営委員を退任できずにおりましたが、たまたま、今回、私の任期の間にフォーラム会長としてお祝いの言葉を述べさせて頂くことができたことも 、大変、うれしく思います。

ますます、お忙しい日々が続くことになるかと存じますが、酵母遺伝学フォーラムにもご出席頂き、後進会員の発表を激励頂ければと思います。

平成28年10月3日
阪井康能
酵母遺伝学フォーラム会長

※ 今回、何人かの名誉会員、元会長の先生からお祝いの言葉を頂きましたので、このページに掲載させて頂きました。


名誉会員・郡家德郎先生より大隅良典先生へのお祝いの言葉を頂戴しました

「オートファジーの仕組みの発見」に対する2016年ノーベル生理学・医学賞の単独ご受賞洵にお芽出たく、酵母遺伝学フォーラム会員の一人として最高の慶びであります。

酵母の液胞内で活発にブラウン運動する粒子は「踊る粒子(Dancing body)」とも呼ばれ、光学顕微鏡で誰しも目にするものであるがその役割は不明であった。大隅先生の非凡さはそこに研究の焦点を合わせ、その「踊る粒子」が細胞の老廃物を取り込んで液胞に運ぶ膜構造体「(オートファジックボディ)であり、液胞は生体物質の分解と再利用に必要なオートファジーの場であることを明らかにされたことである。十数個に及ぶ多数のオートファジー関連遺伝子を発見されたが、これらの遺伝子は哺乳動物にも存在しており、その異常がパーキンソン病やアルツハイマー病の一因になることも判明して医薬開発への応用も期待されるなど、酵母オートファジー研究は、様々な分野に広がり日々深化している。先生が口癖のように説かれる「顕微鏡で細胞を覗くことの大切さ」を改めて学んだ今回のご受賞である。

酵母液胞膜ATPaseの研究で知られる東大安楽研究室にご在籍の頃から存じ上げていた大隅先生であるが,奥様とご一緒のテレビ記者会見でも示された暖かく飾らぬお人柄に改めて感銘を深めた。ノーベル賞を受賞されて大隅先生のご日常は益々ご多忙になることでしょうが、酵母遺伝学フォーラムにもご参加戴いて今後の発展に益々大きく貢献して頂ければ有難いと願うばかりである。

平成28年10月7日
郡家德郎
酵母遺伝学フォーラム名誉会員

太田明徳先生より大隅良典先生へのお祝いの言葉

「大隅良典先生,ノーベル賞ご受賞おめでとうございます」
だいぶ昔のことになりますが,大隅先生の大学院時代の指導教授であった今堀和友先生は,1968年に東京大学教養学部基礎科学科から農学部農芸化学科の酵素学研究室に移られ,大隅先生はその時に基礎科学科から一緒に来た学生の一人でした。私が卒論生として今堀研究室に入ったのは東大紛争終了後の1970年のことで,大隅先生は博士課程の1年次学生であったと思います。記憶がはっきりしないのは大隅先生は当時京都大学にいて,研究室でお見かけすることはほとんどなかったからでしょう。先生を覚えていたのは奥様(お目にかかったときは婚約者)の萬理子さんが私と同じ実験室に修士院生としていらっしゃったことと,他の博士課程院生が,これまで見た学生の中で大隅君は一番優秀だよと褒めていたことが強く印象に残ったためです。

次に大隅先生に思いがけなくお会いしたのは,1982年に東大の医科研の遺伝子解析施設で開催された酵母遺伝学のワークショップで,先生も私も生徒でした。当時,大隅先生は酵母の液胞膜の輸送系に関心をお持ちで,遺伝学的なアプローチを考えておられたと思います。ワークショップの講師には施設長の山本正幸先生ほか,大嶋泰治先生,東江昭夫先生,原島俊先生,菊池淑子先生がおられました。大隅先生のその後の研究の展開を考えますと,このワークショップにはたいへん大きな意義があったのではないかと思います。これがきっかけになり,私も酵母遺伝学集談会に参加し,大隅先生とも様々な機会にお話しをさせていただくようになりました。また,東大の植物学教室の安楽先生の研究室で大隅先生が,当時大学院生であった大矢さん,吉久さん,西川さんほか優秀な大学院生を集めて開催していた,月曜日の午後7時からの酵母論文ゼミに誘っていただき,何年かの間,毎週参加させていただきました。これはすばらしいゼミで,酵母分子生物学の興隆期における優れた研究の紹介は,非常に良い勉強になりました。仲間を広く受け入れて一緒に酵母を勉強しようとする大隅先生の懐の広い,おおらかなお考えには今も感謝しています。

その後,大隅先生は教養学部に助教授として移られてオートファジーの研究を始められました。さらに移られた基礎生物学研究所でそれを大きく展開され,皆様ご存じのようにノーベル賞に至るすばらしい研究に育てられました。その歩みを,同じ酵母遺伝学集談会の,後には酵母遺伝学フォーラムの仲間として,また同時代人としてずっと見聞できたことは,私にとって大きな喜びであり,誇りでもあります。

大隅先生は酵母研究の仲間を大切にされ,基礎生物学研究所における遺伝学フォーラムの開催や,後には会長もお引き受けいただいています。また,私は大隅先生の周辺の共同研究者たちがいつの間にか優れた研究者に育つ不思議さを感じてきました。先生には酵母研究を介して生命現象の解明をめざす仲間に対する深い理解があって,それが人々の最良の部分を引き出すのだろうと思います。その不思議な影響力は酵母遺伝学フォーラムも越えて,今やわが国の基礎生物学の全般に及ぶかのように思いますし,またそのように期待しています。

大隅先生のノーベル賞と文化勲章のご受賞を心からお慶び申し上げますと共に,お忙しくて難しくなるかも知れませんが,今後ともフォーラムの若い仲間を励まし,ご指導いただくことを心から願っています。

2016年10月末日
中部大学
太田明徳
酵母遺伝学フォーラム元会長

ノーベル賞と文化勲章をダブル受賞―大隅良典さん、おめでとうございます

10月3日(2016年)の夕方、今年度ノーベル生理学・医学賞に東京工業大学の大隅良典栄誉教授が受賞されるとのニュースがテレビに流れました。大隅さんは数年前から、ノーベル賞の有力候補と見られていたので、酵母の研究仲間である大隅さんの授賞を心待ちしていました。ロックフェラー大学での留学を終えて帰国され、さっそうと酵母遺伝学フォーラムで発表された時のことを思い出します。切れ味鋭かったご研究も、最近では白髪と白鬚で貫禄も充分な外見にふさわしく重厚で深みのあるものに進化してこられました。それでいて、謙虚で気さくなお人柄に親しみを感じていました。

受賞対象となった業績は「オートファジーの仕組みの解明」ということですが、不要になったタンパク質などを大規模に分解して再利用するというメカニズムを明らかにされたのです。細胞質をオルガネラも含めて、新生した二重膜で取り囲み、このオートファゴソームの外膜が酵母の分解装置である液胞の膜と融合して、液胞内に内膜に包まれたオートファジックボディとして丸ごと取り込まれ、やがて内容物が分解されるというダイナミックな過程が大隅グループの手で明らかにされました。われわれは胞子形成の仕組みとして、細胞内で新たに脂質二重膜である前胞子膜がSPBを起点に構築されるメカニズムを追求してきたので、膜構造の新生という観点からも興味をもって、ご研究の発展を注視していました。大隅グループの研究は動物細胞でもオートファジーが見られることを示し、生体物質合成の素材が食料から取り入れるだけでなく、身体の構成成分を大がかりに分解して再利用するというリサイクルの重要性を示唆しました。さらに、酵母の分子遺伝学的な手法を駆使してオートファジー現象に関わる遺伝子を同定し、分子レベルの研究への道を拓かれた業績も忘れてはならないことです。大隅グループの先端的な研究により拓かれたオートファジーという新しい分野には多くの研究者が参入し、様々な生物種を用いて新たな事実が明らかになり、その一方で、病気の克服への取り組みも成果をあげ始めているようです。

大隅さんが東大教養学部で自らのラボを立ち上げた頃、私はたまたま、同じ建物で開催された動物行動学の小さな研究会に参加していました。発表にも聞き飽きて、ふと大隅研究室が近くにあることに気づき、訪問しました。会うなり大隅さんは「下田さん、酵母を飢餓状態においたらこんなものが見えた!」と酵母のオートファジーを示す電子顕微鏡写真を興奮した面持ちで見せてくれました。まさに、新しい研究分野が産声をあげた現場に居合わせた幸運に、今はとても感謝しています。あの時代、酵母研究は上げ潮に乗っていましたが、いまだ手のつけられていない未知の荒野が広がっていて、面白いものがありそうなところに、いち早く旗を立てて新たな研究分野を拓くことが可能でした。大隅さんや僕なども、そういう楽しさと刺激に満ちた研究生活を味わえる幸せな世代に属していたと言えるかもしれません。2007年に大隅・下田の共同編集で刊行した「酵母のすべて」(丸善出版)という書の前書きで、大隅さんと私は「本書の編集に携わった二人は酵母研究のもっとも劇的な変遷を、身をもって体験することができた世代に属している」と記しました。

ノーベル賞受賞後、大隅さんは機会を捉えては基礎研究の重要性を説いておられるのを、共感をもってみています。確かに、現在はすぐに役に立つ研究にばかり眼がいって、自然科学の大きな目的である、「未知なるものを解明し人類の共有財産とする」ということが、忘れられているように思います。大隅さんのノーベル受賞は若い酵母研究者に、勇気を持って他人がやらない研究テーマに挑み、創造的な仕事をすることの大切さを伝えたのではないでしょうか。

11月3日、大隅良典さんは文化勲章をあわせて受けられました。まことにお目出たいかぎりです。心からお祝い申し上げます。

平成28年11月14日
大阪市立大学特任教授
下田 親
酵母遺伝学フォーラム元会長

ノーベル生理学医学賞と文化勲章のご受章を、心からお祝い申し上げます
―大隅良典先生のご受賞と日本女子大学―

大隅良典先生、ノーベル生理学医学賞と文化勲章のご受章、誠におめでとうございます。酵母細胞の研究を続けてきました私に取りまして、先生のオートファジーの機構解明が遺伝子解析へと発展された源が、酵母細胞のファゴソームが液胞に取り込まれるプロセスを電子顕微鏡像で証明されたことが切っ掛けとなったこと、そしてそのお手伝いをしたのが、私の研究室を卒業した馬場(旧性長野)美鈴さんであったことで、大きな喜びを禁じ得ません。先生がインタビューの折々に、「多くの共同研究者に感謝しております」と真っ先に語られるのを拝見して、先生は弟子を大切にして下さる、素晴らしい研究者であられると尊敬しております。

大隅先生の業績に付きましては既に多くの記事が出ておりますし、私は認定NPO法人綜合画像研究支援(Integrated Imaging、Research Support、IIRS)のホームページにも既に、可視化の面からの先生のご研究の紹介と、お祝い文を載せておりますので、今回は個人的にお慶びと感謝を述べたいと思います。

良典先生とのお付き合いは、先生が留学から帰国後に、酵母細胞の研究を始められて、酵母細胞研究会に入会したいとの、お電話を頂いた時が最初でした。当時、先生は安楽先生の助手をされておられました。私の研究室を1979年卒の内田(現青木)悦子さんは、研究の発展のために、1981年から安楽研の研究生として受け入れて頂き、1985年に「酵母液胞膜H+-ATPaseの構造と機能の研究」により博士号を取得させて頂きました。彼女は、液胞に興味をお持ちの良典先生に生化学のご指導を頂いた際にお聞きした、留学先のエデルマン研究室でのお話が、強い刺激と一層の励みとなって、短期間で博士論文を纏めることかできたと、私に述懐しています。

内田さんが安楽研の研究生だったので、美鈴さんも、安楽研にお伺いし、それが、彼女が良典先生のご指導を受ける動機となりました。美鈴さんは内田さんの3年前の私の研究室の卒業生ですが、在学中に微細形態学の研究を希望しました。そこで、卒業論文では、電顕試料としては不向きな酵母を用いず、電顕形態学の本流であった動物を材料にして、電顕技術を本格的に身に付けることから研究をスタートして頂きました。卒業後、美鈴さんは私の部屋の研究生になり、酵母の細胞膜の研究から、酵母のための急速凍結固定の開発などを一心同体で行いました。

1980年代末頃、良典先生からお電話があって、美鈴さんに仕事をしてもらいたいとのお申し出があり、私の研究室に来られ、「美鈴さんほどの技術があり、JCBに論文を書いたら、各国から引く手あまたですよ」と話されたことを、忘れずにいます。当時、現在の先生の風貌からは想像できない程の研究への強い意気込みでおられました。そこで、その申し出をお受けして、美鈴さんにはオートファジーの仕事をスタートして頂き、学位を得ることに発展しました。

私は大学3年の時に、葉緑体の美しい電子顕微鏡写真を見て以来、電顕を用いる研究にのめり込みました。卒業の翌年の1958年に日本女子大にいち早く中型の透過電子顕微鏡が納入され、そして1970年には大型の電顕、その後も私が定年退職後も含めて永年にわたり、周辺機器、維持管理費の導入とそのための外部資金の獲得などができ、私の研究室の皆さんのお気遣いで、美鈴さんの研究の場として、女子大の施設を提供できたことは、日本女子大の歴代の学長と、理学部物質生物科学科の諸先生方、歴代の電顕施設の方々のお陰であると、心から感謝を申し上げます。

大隅先生のノーベル賞受賞の翌日のNHKテレビで、美鈴さんの姿が一瞬写り、良典先生が初期の電顕データが、美鈴さんによるものだと公表されたことを知り、私は先生に直ぐに御礼のメールを差し上げました。良典先生が一連の遺伝子解析へと発展したオートファジー研究の出発点は、電顕によるそれの確認であったと考える私は、「研究のスタートはよく視ること」との私の持論が、先生のノーベル賞で実証されたようで、大変嬉しく思いました。

「この度、大隅良典先生のノーベル賞の受賞に、美鈴さんが研究の一端を担っていたと報道され、益々嬉しいニュースになりました。私達は正子先生が美鈴さんに電子顕微鏡の技術などを教え続けていらしたことを知っておりますので、正子先生の教えのお力が美鈴さんの頑張りを後押しし、引き出したと・・・。美鈴さんだけでなく、大隅良典先生への正子先生の直接のお力添えがあったから、今回の賞になったと、私たちは大隅正子研究室を誇りに思っております・・・」との大学人冥利につきるお手紙をある卒業生から、また別の多くの卒業生からお電話も頂きました。日本女子大学の卒業生も喜び、おそらく他大学にはなかった、「電子顕微鏡学」「電子顕微鏡学実験」(理学部創設時に超微構造学、同実験と改名)の科目を導入したカリキュラム改革の効果が、ノーベル賞受賞のお役に立った、と女子大を誇らしく思いました。

オートファジー現象の形態学的スタートである細胞内の膜の挙動は、今もまだ私には大変気になっていることです。昔むかし、私が研究した酵母の呼吸適応の現象も、嫌気状態から好気的環境変化を真っ先に察知して、先ず小胞体が出現し、その後ミトコンドリアが形成されて、呼吸能が上がることが分かりました。先生の御受賞が発表されてからこの2ヶ月、私は環境変化に速やかに反応する膜系のことが気に掛かっております。まだまだ酵母の生理学で、解からないことが多々あるように思われます。

先生にはこれからも、こうした多くの謎を解明して頂きたいと思います。どうぞご自愛されまして、益々のご研究の発展をされますことを祈念します。

平成28年11月29日
日本女子大名誉教授、名誉評議員
大隅 正子
酵母遺伝学フォーラム名誉会員

大隅良典先生、ノーベル生理学・医学賞と文化勲章の受賞おめでとうございます

ちょうど今から3年前の9月に仙台で開かれた研究報告会で、大隅良典先生に酵母遺伝学フォーラム名誉会員になっていただきました。ノーベル賞を取る前に名誉会員になっていただこうと、その前年まで会長だった土屋英子広島大学教授(当時)が提案されていたからです。壇上で名誉会員証を手渡しながら嬉しくもあり、会長としての仕事とは言え少々こそばゆくもあったのは、私が大学院生だった頃、大隅先生から直接多くのことを学んできたからです。

東京大学理学部植物学教室の安楽泰宏研究室ではそれまで大腸菌のトランスポーター、呼吸鎖などの研究を中心に研究していましたが、大隅先生は出芽酵母の液胞のH+-ATPaseやトランスポーターの研究を託されました。当時液胞は、タンパク質分解酵素が存在し、アミノ酸やイオンを蓄積するオルガネラとして知られていましたが、「液胞は決してゴミ溜めではない」と何度もおっしゃっていたことを覚えています。オートファジー研究の源流のひとつがこのあたりの考え方にあったのかもしれません。はじめは大隅グループも小規模なものでしたが、学生として私や吉久徹、和田洋、西川周一君などが、醸造試験場から北本勝ひこ先生が加わって徐々に賑やかになってきました。安楽研では一人一人の研究テーマが全く別々でした。研究室の研究発表の前になると助手だった大隅先生も実験のペースが上がり、ほぼ徹夜でレジメを準備されていたことを今でも覚えています。その頃から名物のお髭の姿は変わらず、徹夜明けにはしばしば髭を手で撫でながら研究室のハサミで手入れをされていました。

研究室の雰囲気はとにかく明るくて、大隅先生の周りではいつも笑顔が絶えませんでした。愚痴を言っているのは聞いたことはありますが、怒った姿は全く見たことがありません。研究室の中でできるゲームを次から次に考え出し、「培地のプレートをどれだけ早くまけるか」、「一分間に何回カウンターを押せるか」、「ヘマトメーターでどれだけ早く細胞数を計測できるか」など、毎日息抜きの時には、何かしら考えて、みんなで面白がって一緒に楽しんでいました。近くの焼き鳥屋に大勢で行くと、「店長、例の奴を注文!」と言って、お茶漬けのご飯の中に一つだけ特大のわさびを入れてもらい、誰かに当たるのを見て喜んでいました。これは今ならば、お茶漬けハラスメントと言われるかもしれませんが。

ノーベル賞受賞の記者会見の時に大隅先生がおっしゃっていた、「研究では『役に立つ』より『面白い』を優先する」、「人がやらないことをやりたいというのが私の信念だった」、「研究生活に入ってから、ノーベル賞は私の意識のまったく外にありました」は、どれも私が大学院生の頃に耳にしていたことで、その意味では大隅先生が昔から考えていた信念であると思います。面白そうだから、そして他人が研究していないからオートファジーを研究してきた、これが大隅流の科学の進め方だと思います。同時に、基礎科学を取り巻く現在の状況を見て、人類そして科学者が本来もつべき姿勢について強力な発信をされていることに、感銘を受けるともに大きな期待感を持っています。大隅先生が酵母の基礎研究でノーベル賞を取られたことをきっかけとして、これから若い人たちが面白い酵母の研究を始めることを切に願っています。

平成28年11月末日
東京大学教授
大矢 禎一
酵母遺伝学フォーラム元会長

大隅さんのノーベル生理学・医学賞受賞をお祝いして

酵母フォーラムの元会長で名誉会員でもある大隅良典さんが2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞されますことを心からお慶び申し上げるとともに、いささかの感慨を述べさせていただきます。40年以上にわたるお付き合いでもあり、以下大隅さんで通します。

ごく単純な表現をすれば、大隅さんのオートファジー研究は、東京大学教養学部の助教授時代に芽が出て、基礎生物学研究所教授時代に花開いたということができると思います。たまたまその基生研の現職の所長であり、また基生研の客員教授として一時期大隅さんの同僚でもあった身として、文科省やマスコミにまとまった報告やコメントを提供したり、基生研の地元である岡崎市とともに受賞をお祝いするイベントを企画したりと、このところエフォートの一割ほどは大隅さんに関係する日々を過ごしています。この寄稿文では、二つのことを述べたいと思います。

一つ目は、受賞が決まって以来、大隅さんがマスコミに対して繰り返し述べている、基礎研究の研究基盤を守ることの重要性です。ご自身が言われている通り、オートファジー研究の発端は、興味深い生物現象の発見と、そこで何が起こっているのかを知りたいという研究者の強い好奇心です。この研究でノーベル賞を取れそうだなどという発想は微塵もなかったと思います。また大隅さんが、オートファジー関連突然変異株の単離には成功したものの、その遺伝子機能がさっぱり分からず苦労していた時代を覚えているフォーラム会員も多いと思います。あの頃に大隅さんの仕事をノーベル賞に結びつけていた人はひとりもいないでしょう。基生研の教授に決まった時にも、何か成果を出してくれそうな研究者という評価はあっても、ノーベル賞学者の人事をしているとは誰も考えなかったはずです。このような物言いは、大隅さんを貶めるものでは全くなく、それこそが大隅さんが見事に示してくれた基礎研究の本質なのです。分からないことを解き明かしたいという研究者の好奇心を原動力として努力を重ねるうちに、よい研究仲間に恵まれるとか、たまたま世界の他の研究と歩調を一にして新発見に近づいていた、などというような幸運(セレンディピティ)が訪れると、まさにブレイクスルーが起こります。大隅さんはその典型を体現されたのです。

大隅さんの頑張りもあって、基礎研究を盛り立てる必要があると言う声が少しずつではあるが湧いてきています。ありがたいことです。この動きはぜひ応援していかなければなりません。しかしながら、大隅さんが繰り返し訴えている、基礎研究で大事なのは、どう発展する分からない様々な研究の芽を潰さないように、幅広く研究費の援助を行うことであるという主張は、文科省内では一定の理解を得られているように見えるものの、予算を握っている財務省や内閣の中枢には、言葉通りに受け止めて貰えないおそれが多分にあります。うかうかしていると、大隅先生のノーベル賞を記念して、将来ノーベル賞を取りそうな若手研究者を選別して研究費を優遇する制度を作りました、というような政策にするりとすり替わってしまうかもしれません。

もう一点強調したいのは、大隅さんの仕事の出発点で電子顕微鏡が果たした大きな役割です。ノーベル賞の基盤となった最初の論文に選ばれている1992年の J. Cell Biology (JCB) 論文とその2年後の JCB 論文では透過型電顕で、1995年の Cell Structure and Function 誌では凍結レプリカ法を使った走査型電顕で、オートファジーのプロセスが見事に可視化されています。これらの電顕写真は、日本女子大の大隅正子先生門下であった馬場美鈴さんが撮ったものです。特に1994年の JCB 論文には、オートファゴソームが生み出される過程が捉えられており、膜は膜から生成するという細胞生物学の常識を破るような画像には息を飲みました。当時、「大隅さんが何かを掴んだ」、「美鈴さん、素晴らしい」という研究者としての羨望のような感覚を覚えたのを思い出します。電子顕微鏡はいつ出てくるか分からない「当たり」の画像を求めてひたすら努力を重ねる作業です。改めてその価値が再認識されるべきだと思います。

最後に、若い大隅さんの写真を紹介しておきます。阪大で大嶋泰治先生が開いてくださった初回に続き、慶應大の深沢俊夫先生が中心となり、私のいた東大医科研遺伝子解析施設で1982年に開かれた酵母トレーニングコースでのワンショットです。初心者だけでなく、大隅さんのようにすでに酵母を触り始めていた方々も参加して、同好会的な雰囲気で数日を過ごしたのを覚えています。

大隅さん、改めておめでとうございました。

平成28年12月3日
基礎生物学研究所・所長
山本正幸
酵母遺伝学フォーラム元会長
同名誉会員

若い大隅先生

(写真の説明)
酵母トレーニングコースで実験中の大隅さん(中央)。後方は太田明德さん。コースでは深沢俊夫先生、大島泰治先生、郡家德郎先生、東江昭夫さん、菊池淑子さん、原島俊さんらが講師を務めた。